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小林洋平 (野球) : ウィキペディア日本語版
小林洋平 (野球)[こばやし ようへい]
小林 洋平(こばやし ようへい、1980年12月26日 - )は、野球ネパール代表監督を務める。
NPO法人ネパール野球ラリグラスの会理事長。ネパール野球連盟名誉総裁。野球ネパール代表監督。
野球普及活動に励む野球伝道師
== 経歴 ==
大阪府出身。大阪府立港高等学校トラジャル旅行ホテル専門学校プール学院大学卒業。大阪の生協職員。
野球部がない中学に通い、漫画スラムダンクの影響で学生時代の10年間はバスケットボール部に所属。
専門学校を卒業後、ネパール野球に携わるためプール学院大学へ編入。
野球経験は二十歳からという異色の経歴の持ち主。
2001年、大学の海外研修で初めてネパールを訪れ、現地で野球交流を行う。
大学卒業後の2004年ボランティア団体ネパール野球ラリグラスの会を設立し、ネパールで野球普及活動を開始。〔小林洋平ブログ プロフィール
2006年にはポカラ市に日本語学校兼野球事務所ポカラハウスを立ち上げ、小林自身もラリグラスの会から野球指導者としてネパールに派遣される。
2009年、イッソー・タパの独立リーグへの挑戦を含む、日本野球武者修行をサポートし、翌2010年にイッソー・タパが関西独立リーグ大阪ホークスドリームへ入団。独立リーグではあるが、ネパール人初のプロ野球選手を誕生させる。同時期にネパール野球連盟が設立し、プラディープ・シュレスタ会長より依頼を受け、名誉総裁に就任。
2011年パキスタンラホールで開催された南アジア野球選手権野球ネパール代表のヘッドコーチとして出場。この南アジア野球選手権は野球ネパール代表にとって初めての国際試合となり、大会終了後ネパールがIBAFランキング51位にランクイン。
2012年、イッソー・タパが東大阪市に誕生したプロ野球チーム06BULLSへ移籍。小林も移籍を支援。ラリグラスの会と06BULLS球団も提携。
〔 06BULLS イッソー・タパ投手インタビュー独立リーグドットコム〕
2013年4月、東京で開催された国際野球連盟総会にてネパール野球連盟の国際野球連盟への加盟が正式に承認される。総会に出席していたパキスタン野球連盟カーワル・シャー事務総長より依頼を受け、パキスタン野球連盟在日本理事に任命される。6月、06BULLSの本拠地、花園セントラルスタジアムにて東大阪パキスタン友好試合を主催。8月にNPO法人ネパール野球ラリグラスの会を設立し、理事長に就任。12月ラホールで開催された第11回西アジアカップではネパール野球連盟より依頼を受け、ネパール代表監督に就任。銅メダルをかけたアフガニスタン戦に2-3と敗戦したものの、監督賞を受賞。6月に主催した「東大阪パキスタン友好試合」も評価され、パキスタン野球連盟より表彰される。
〔 ネパール代表エースが楽天戦観戦ニッカンスポーツ〕
2014年5月、日本テレビ「7daysチャレンジ 一緒に、未来貢献」の特別企画により、「Going!Sports&News」の番組内にてネパール野球の特集が組まれる。第80回全国高等学校野球選手権大会PL学園対横浜延長17回松坂大輔(現福岡ソフトバンクホークス)との壮絶な投げ合いを演じた元PL学園エース日本テレビアナウンサー上重聡よりインタビューを受け、ネパール野球は「これがボールです。これがバットです。道具の名前と正式な道具の使い方を伝えるところから始まっている。」と答えている。〔「Going! Sports&News」 日本テレビ 2014年5月3日-4日〕8月にはネパール野球15周年を記念し、「日本・ネパール野球交流プログラム2014」を主催。前年、日本選手権シリーズを戦った東北楽天ゴールデンイーグルス読売ジャイアンツとの交流を含むプログラムの様子が様々なマスメディアによって報道される。「上田晋也×亀梨和也のGoing!野球」では、ポカラ市の姉妹都市長野県駒ヶ根市で行われた友好親善試合が紹介され、ネパール代表U15が駒ヶ根市選抜に4-2で勝利し、ネパールの子どもたちは初めて試合に勝つ喜びを知ったと伝えている。
2015年4月より、侍ジャパンオフィシャルサイトのコラム「世界の野球」でネパール野球に関する連載が始まり、小林も紹介されている。〔侍ジャパンオフィシャルサイト「世界の野球」〕4月25日にはネパールで大地震が発生。小林も震災復興支援活動を始め、地震発生の数日後にはネパールに赴いている。〔「ニュースほっと関西」NHK大阪放送局 2015年5月20日〕その後、12月にネパールでの復興支援のための野球大会の開催が計画される。〔「ネパール復興願う白球の輪」朝日新聞 2015年7月9日〕 9月には、第27回アジア野球選手権大会が開催され、パキスタン代表チームのスタッフとして参加する。尚、同大会にはネパール野球ラリグラスの会の公認パートナーであるアブドラ・バラもパキスタン代表選手として出場している。
「野球からひろがる笑顔の輪」などをテーマにした講演活動や執筆活動なども行い、バイタリティーに溢れた活動を続けている。
〔ネパールの野球振興に尽力する小林さん 原動力は「子どもたちの笑顔」 スポーツニッポン 2015年8月26日〕〔憂楽帖「ネパール野球」毎日新聞 2015年2月25日〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小林洋平 (野球)」の詳細全文を読む



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